細いのが正義、華奢なのが正義。
そんな空気を感じたことはないでしょうか。
骨が太い。体格ががっしりしている。足が短い。だから「スタイルがいい」なんて自分には縁がない。過去の私のように、そんなふうに諦めかけている方に本当に本当に伝えたい、読んでほしいと思います。
父譲りのがっしりした骨格で、自己肯定感がずっと底辺だった私が、少しずつ自分に自信を持てるようになるまでの話。考え方や価値観がどう変わっていったかを、綴ります。
考え方を変えるのがどれだけ難しいかは、痛いほどわかっています。それでも、「こんな捉え方もあるんだ」と文字で読むことによって少しだけ心が軽くなることがあると信じて。この記事がそのきっかけになったら嬉しいです。
目次
人と比べない、自分とだけ向き合う
人と比べずに、自分とだけ向き合う。
よく聞く言葉だと思います。でも正直、私を含めて、それを本当にできている人なんてほとんどいないんじゃないかと思っています。
私が自分の魅力に気づくまで
常に誰かと比べていた学生時代
私の学生生活は、いつも周りと自分を比べては落ち込む。本当にその繰り返しの毎日でした。
昔から骨太でがっしりした体型で、小学生の頃からずっとコンプレックスでした。身長は小さいのに体格だけはよかったので、組体操でも自分より背が高い子より下の段になって、それが恥ずかしかったのを覚えています。
修学旅行や遠足でカメラマンさんが撮ってくれた写真が廊下に飾られる。そんな学校だったのですが、そのたびに周りとの体格差を突きつけられて絶望していました。「これ、誰が見ても私だけごついじゃない」と、写真を見るのがつらかったです。
O脚もひどくて、足も短い。制服がスカートだったので余計に目立って、周りと比べては落ち込む日々でした。
そこに追い打ちをかけるように、胸も大きく、一見それだけ聞くと魅力的に思えるかもしれませんが、がっしりした体型で背も低いのに胸だけ大きい。バランスがすごく悪くて、みんなと同じ制服を着ているはずなのに自分だけ似合っていない気がして、自分の体型がとにかく嫌いでした。
他人を気にしなくなったきっかけ
転機は、大学に入って私服を日常的に着るようになったことでした。
みんなが同じ格好をしている環境じゃなくなったとき、人と自分を比べることが自然と減っていきました。それはそうですよね、同じ格好をしていたら嫌でも比べてしまいます。
体型へのコンプレックスはまだ残っていましたが、比較する回数が減って、少しずつ自分とだけ向き合うようになりました。そうしたら、コンプレックスだと思っていた「人と違うところ」も、見方を変えれば魅力になるんじゃないかと、思えるようになってきたんです。
骨は太いし太りやすい体質だけれど、締めるところは締めて、出すところは出したら、メリハリのあるボディになれるんじゃないか。肩ががっしりしている分、貧相には絶対に見えない。胸だってもう大きいんだから、グラマラスな大人の女になれるんじゃないか。それはそれで魅力的じゃないかと。
いきなりこんなにポジティブになれたわけではありません。でも、少しずつ、そんなふうに考え方が変わっていきました。
小中高生の頃の「スタイルがいい」の基準は、とにかく細い、華奢。(制服自体がそういう体型の子に似合うように作られている気がするのは、私だけでしょうか。(笑))その基準の中で自分を否定し続けていましたが、一歩外に出るといろんな体型の人がいて、みんなそれぞれ自分に似合う服を着て、自分の魅力を出していました。
自分には、他の人が持っていないコンプレックスがあるかもしれません。でも、その分自分にしか出せない魅力もある。変えられないところは、もう仕方ない。それを恨むより、変えられるところをどう磨いていくかを考える方がずっと前向きだと、気づいたんです。
自分の強みを生かして生きられるようになるまで
そこから運動と食事を見直して、締めるところは締める、出すところはしっかり出す。少しずつ体を磨いて、大嫌いで見るのが辛かった鏡の中の自分をいつしかにやけながら褒められるようになっていきました。
「なにこのグラマラスな人、セクシーすぎ、ええやん!」みたいな具合に(笑)
服装も、それまでは流行やみんなと似た格好を選んでいましたが、「自分の魅力を一番発揮できるのはどんなスタイルだろう」と考えて選ぶようになりました。そうしているうちに、自然と自分に似合う格好が定まっていきました。
すると、周りから「ええ女やん」と言ってもらえるようになりました。小中高校生のときは自分のスタイルを褒められたことなんてなくて、「あの子めっちゃ足細いよなあ」「あの子お腹ぺったんこやんなあ」と、友達と一緒に誰かを羨む側でしかなかった私が、変わっていったんです。
考え方が変わったことで自然と自信がついて、表情も明るくなった気がします。それがまた、自分の魅力をさらに引き出してくれました。そんな循環だったんだと思います。
自分にしかない魅力の見つけ方
他の人と違うところに、あえて注目してみる
見た目でも、中身でも。
「他の人と違う」というのは、裏を返せば「自分にしかない」ということ。同じ意味の言葉なのに、光の当て方ひとつで全然違って見えてきます。
コンプレックスの正体を、少し抽象化してみる
「がっしりしている」は「貧相に見えない、存在感がある」。
「優柔不断」は「人の意見をちゃんと聞ける」。
具体的な悩みのまま抱えていると苦しいことも、一段階抽象化してみると、意外と違う顔を見せてくれることがあります。
今あるものを味方につけて、自分だけの魅力を楽しもう
自分の魅力を生かす方法は、ちゃんとあります。
人と比べてしまうこともあると思いますが、もともと持って生まれたものの違いは、どれだけ考えても、どれだけ羨んでも変わりません。人生は本当に短いです!時は金なり!大事な大事な今という時間を考えても仕方のないことに使って精神をすり減らすのは本当にもったいないです。学生時代のほとんどの時間をそのマインドで過ごして大!大!大後悔している人がここにいます!変えられないことは一度諦めるという思い切りの気持ちも大切!今の自分とだけ向き合うことをぜひ最優先にしてほしいです。って言葉にするのは簡単です。でも、そんなに簡単に気持ちを切り替えられたら誰も苦労しません。それは嫌というほどわかっています。
体型が嫌で悩んでいた頃、親戚や近所の人に「健康的でいいやん」「ちょっとくらいふっくらしている方が女の子らしいよ」と言われたことがあります。同じ悩みを持っている方なら、一度は似たようなことを言われたことがあるのではないでしょうか。
当時の私は「そんなの嫌や!細くて華奢な方が絶対いいに決まってる!!」って思っていました。あれはただ悩んでいる私をフォローするための決まり文句だろとひねくれた考えをしていました(笑)。
けれど、今ならわかります。本当に、自分には自分の魅力があります。
今持っているものの中で、自分がどう変わっていけるかを考える方がずっと建設的。そう学びました。
とはいえ、いつも前向きでいられるわけではありません。体型のことに加えて、顔が大きいのも小学生の頃からずっと悩みの種です。これは簡単に変えられるものではないし、今でもうまく前向きに捉えきれないときがあります。それでも「もう仕方ない」と割り切って、フェイスラインだけは人一倍丁寧に整えようと、少しずつ気持ちを切り替えています。
偉そうに「変えられないことを考えても仕方ない」なんて言いながら、実際はこんな風に今でも考えてしまうこともあります。全部を一気に好きになる必要はありません。少しずつでいいんです。愛せそうなところをひとつずつ見つけて、そこに目を向けていくことが、きっと一番大切なんだと思います。
生まれ持ったものに恵まれている人を見て、「こんな努力も苦労もしなくていいんだから、人生イージーモードだな」と思うこともあります。でも、自分が悩んできたからこそ、同じように悩んでいる誰かを傷つけない選択ができる。
優しい人に厳しい世の中ですが、この経験は絶対に、いつか自分のため、誰かの力になります。

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